裁判官今崎幸彦の補足意見(関西弁バージョン)

 トランスジェンダーの人々が、社会生活の様々な場面において自認する性にふさわしい扱いを求めることは、ごく自然かつ切実な欲求であり、それをどのように実現させていくかは、今や社会全体で議論されるべき課題とゆうてもかめへん。トイレの使用はその一例にすぎへんが、取組の必要性は、例えばMtF(Male to Female) のトランスジェンダーが意に反して男性トイレを使用せざるを得ないとした場合の精神的苦痛を想像すれば明らかやろ。

 本件説明会において、上告人は、女性職員を前に自らがトランスジェンダーであることを明らかにしとるが、引き続き行われた意見聴取の際には女性職員から表立っての異論は出されていぃひん。その後上告人は本件処遇に従い使用を許された階の女性トイレを使用しとったところ、その期間は本件判定の時点で約4年10か月(休職期間を除いても約3年8か月)にわたっとるが、その間何らの問題も生じていぃひん。加えて、原審の認定事実によれば、本件説明会に先立ち、上告人は、平成10年頃から継続的に女性ホルモンの投与を受け、平成20年頃からは私的な時間のみなを女性として過ごすようになっており、そのことを原因として問題が生じたことはあれへんかったっちゅうのやで。

 法廷意見は、こうした事案において、直接には上告人の行政措置要求に対する人事院の本件判定部分の当否を判断の対象としとるが、実質においては上告人に対する経済産業省当局の一連の対応の評価が核心であったことはいうまでもあらへん。その観点から得るべき教訓を挙げるとすれば、この種の問題に直面することになっとる職場における施設の管理者、人事担当者等の採るべき姿勢であり、トランスジェンダーの人々の置かれた立場に十分に配慮し、真摯に調整を尽くすべき責務があることが浮き彫りになりよったっちゅうことであろう。

 課題はその先にあるんや。例えば本件のような事例で、同じトイレを使用する他の職員への説明(情報提供) やその理解(納得)のないまま自由にトイレの使用を許容すべきかっちゅうと、現状でそれを無条件に受け入れるっちゅうコンセンサスが社会にあるとは言われへんやろ。ほんで理解・納得を得るため、本件のような説明会を開催したり話合いの機会を設けたりすることになるんやが、その結果消極意見や抵抗感、不安感等が述べられる可能性は否定できひんし、そうした中で真摯な姿勢で調整を尽くしてもなお関係者の納得が得られへんっちゅう事態はどうしても残るように思われるんや(杞憂であることを望むが)。情報提供についても、どないな場合に、どの範囲の職員を対象に、いかなる形で、どの程度の内容を伝えるのか(特に、本人がトランスジェンダーやでっちゅう事実を伝えるか否かは場合によっては深刻な問題になるやろ。もとより、本人の意思に反してはなれへんことはいうまでもあらへん。)といった具体論になると、プライバシーの保護と関係者への情報提供の必要性との慎重な較量が求められ、事案によってややこい判断を求められることになるやろか。

 こうした種々の課題について、よるべき指針や基準といったものが求められることになるんやが、職場の組織、規模、施設の構造その他職場を取りまく環境、職種、関係する職員の人数や人間関係、当該トランスジェンダーの職場での執務状況など事情は様々やから、一律の解決策になじむもんやないであろう。現時点では、トランスジェンダー本人の要望・意向と他の職員の意見・反応の双方をよく聴取した上で、職場の環境維持、安全管理の観点等から最適な解決策を探っていくっちゅう以外にない。今後この種の事例は社会の様々な場面で生起していくことが予想され、それにつれて頭を悩ませる職場や施設の管理者、人事担当者、経営者も増えていくんとちゃうかと思うで。既に民間企業の一部に事例があるようやけど、今後事案の更なる積み重ねを通じて、標準的な扱いや指針、基準が形作られていくことに期待したいんや。併せて、何よりこの種の問題は、ようけの人々の理解抜きには落ち着きのええ解決は望まれへんのであり、社会全体で議論され、コンセンサスが形成されていくことが望まれるんや。

 なお、本判決は、トイレを含め、不特定又は多数の人々の使用が想定されとる公共施設の使用の在り方について触れるものやあれへん。この問題は、機会を改めて議論されるべきやで。

 

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